末から生きている感が

わたしは、ある意味、生きるシカバネである。
絶望的廃人ではなく、魂が抜けている。
仏教的には優等生。
わざわざそういう修行に精を出す人もいるぐらいだから脫毛學生

偉いお坊さんは身体は何百年も前に消滅しても、魂は生きているらしい。
ということは、やはり仏教的にはわたしは劣等生か。

ブラッド・ピット主演の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」という映画のように、人生を結末から生きている感がある。
生まれた時は臨終の時、しわしわ骨皮おばあさん。
徐々に若返り、5歳や10歳の時は前期・後期高齢者ぐらいまで逆戻り。
さらに若返り、脳みそはツルツル、肌もツルツルになり、最後は生まれたての赤ん坊。
それでいくと、今、わたしは思春期入り口ぐらいのお年頃か。
どんどん若返って、晴れやかなことだ。

リタイアしたら、あれもしたい、これもしたい、と夢を描く(人が多い)。
自由の身になるまで、家族のために頑張る。
いざ、自由の身になったら、何をしていいのかわからず呆然とする人や、いきなり病気になってしまう人や、あまりにもしたいことがあり整理できない人、、、などなど脫毛邊間好

とりあえず、優先順序をつけてトライしてみる。
ある人は、奥さんと同時に絵を始めた。
1年半で頓挫。奥さんは今も続いている。
適正があると思う。
興味や能力が潜在的にあり眠っていて、いざ起こしてみると、不発の人やら、ハマる人やら。
例えば登山。
あのしんどいハードなスポーツ。
これにハマる人もいる。
自分の残っているエネルギーにハッパをかける。
苦しさを乗り越えてこそ、苦境を脱する時に生きていることが実感できる瞬間、達成感。
わたしなら、疲れるからパス。
また下山するのは、登るより疲れるし。
人それぞれだ。

ちなみに、一昨日の民放TV「情熱大陸」で、女性登山家が紹介されていた。
わたしは全ての面で端から端まで絶対に無理。
だが、圧巻、脱帽、実に頼もしい女性だ。
さすがプロの領域。

常に昇り続ける、走り続ける、泳ぎ続ける、それが生きがいの人。
心臓をMAX最大限に効果的に動かす。

わたしは何がしたいかと言うと、別に何もしたくない。
やりたいことはやった。
遊びも。
今はその思い出を糧に生きている。
まるで寝たきりの状態。
せっかく動かせる体があるのに、動く間に動かないと勿体無い、悔いが残るのでは?
が、そういう気持ちがなぜかない。
凪のように静かに落ち着いている激光脫面毛