特産の玉ねぎを堪

土日、ミニ・ジャーニー、昨日は、淡路島の淡路城、伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を回り、
淡路島もなかなか、立派な歴史の重みのある地なんだと、いまさらながら感心した奶粉便秘

お昼は、「いづも庵」という、うどん屋で、淡路特産の玉ねぎを堪能した。
低温で20分ほどゆっくり揚げた玉ねぎが1個まるまる丸ごと、どかーんとのっかった、玉ねぎ・つけ麺。
このお店、人気があって、45分待ちだった。
この目玉メニュー、玉ねぎが甘くて、とても美味。

店内で隣に座ったカップルは、牛丼セット(大きな丼の牛丼と、温うどんがセット)が先に運ばれ、
てっきり男の子からの注文かと思ったが、女の子のオーダーだった。
男の子は、玉ねぎつけ麺。
「おれ、もう、玉ねぎ、しばらく食べたくない」と、彼は言っていたが、
丼には、一滴のつゆも残さず、完食していた。
女の子も、すっかりきれいに、ビッグ牛丼と、うどんを平らげていたBB無便便
相撲部カップル?かも?と、立派な体格の二人。微笑ましい。


随時、インターネットで待ち時間をアップしているという、神戸市立博物館の、マウリッツハイス美術館展」。
夕方なら、待ち時間もそうかからないだろうと、パソコンでチェックしてみると、「40分待ち」ということだった。
で、帰路、途中、神戸、京橋I.Cで降り、三宮の駐車場に車を置いて、徒歩で、会場に向かった。

老若男女、けっこう、いっぱい。
この展覧会、スタートしたばかり、まだ1週間なのでかどうか知らないが、人気があるようだ。
超・有名作品「真珠の耳飾りの少女」は、貸し出しは、これが最後だとか。
見納めというわけか。
あとは、オランダ・バーグにあるマウリッツハイス美術館に出向かないと、見られないということになるようだ。

いつものごとく、オーディオ ガイドを借りたが、声の出演、スペシャルガイドは、武井咲だった。
まあまあまあ・・・どこにも、この人、ほんと、ひっぱりだこthermage 效果

複数ヒットすることもあるの

珍しくブログ村エッセイの注目記事に、AIが選んでくれた。ランクイン。
人気ブロガーさんが、しばらく更新しないと、ベスト10内にポストが空くようだ瘦雙下巴
あまり意味がない注目記事なのだが、想像するには、記事内の言語が、巷の検索ワードに複数ヒットすることもあるのだろう。

だがしかし女史(わたしの娘世代)ブロガーさん、今、ちょっと忙しいのかな。
彼女のブログ、強烈(な時もあり)面白いんだけど。
同じ、わたしの娘世代でも、全然違うところが実に刺激的。
部分的に同じところもあるが、どうも違う。
そりゃあそうだ。
赤の他人だから。

話はころっと変わるが、昨夜、TVの深夜番組を観た。
タワマン最上階に住んでいるのはどんな人?という、森三中の一人がレポート热玛吉
マンションやクルマの所有品の話の中で、数億円だとか、数千万円だとかの金額がぽんぽん出てきた。
35歳の息子さんがいる、60歳ちょっとぐらいの男性だったが、奥さんは29歳のべっぴんさん。
息子さんの奥さんは32歳?だったか、、、それより若い。
まるで、奥さんまで、億の付く所持品の一環のような印象を受けた。

もっと違う側面からアプローチも出来ると思うが、番組の意図としては、あういうテイストになるのだろう。
MCの俳優やお笑いタレント(漫才コンビ)は、反応やコメントをしていたが、番組制作上の流れを意識してのものだと思われる。
羨ましいと思う人も中にはいるかも知れないが、おそらく冷ややかな目なのではなかろうか。
ある意味、取材を受けて、かわいそうな気がした。
空洞、中身のない贅沢、、、実質を伴わないものだった。
別の日常があるはずなのに、番組上、ああなってしまったのだろう。
わたしの目には、軽くて薄っぺらで冷たく映った。
どこがいいの?
そう感じるのは、年齢の違いか?
いや、旦那さんはわたしと同世代だ。
価値観の違い、嗜好の違いが、あそこまでハッキリしているのは、むしろ潔いかも知れない。
番組としては、まあ成立。
ただし、深夜枠なのが気になる。
MCの俳優が、最後にちょこっと、こう言った。
「若い時から叩き上げで頑張ってくると、こうなるんだろうね」


最近はTV人気も低下している。
インターネット番組や、YouTubeなど、自分から探して近づいて行くものに吸引力があると感じる。
TV局が視聴者受けを狙って制作しても、スカスカの手ごたえではないだろうか。
そもそもTVを見ている人、層って水原共生???

とかなんとか、わたしは毎日、TVを19時から観る。
NHK専科。デイリーニュースがメイン。
番組が新編成され、興味を失ったものもある。
ニュースは、スマホ(インターネット)でも随時、リアルタイムに近い時間に飛び込んで来る。

世の中の提案と、わたしのニーズが一致しないことがある。
ニーズを満たすには、自分仕様でオリジナルに動くしかないが、世に出ている商品や提案をアクセント的に受け入れて楽しむのも良いと思う。

あるから言えることか

幸福論を唱えるブロガーさんがいる。
ふむふむと納得の話がずらり。
が、一つ気づきがあった。
お腹一杯ではなく、腹八分目が満足の肝だとは昔からよく言われている手臂粒粒
が、そのブロガーさんはどの分野も成功を収め、高い場所からの風景を見た経験があり、腹十分を味わったことがあるから言えることかも知れない。
常に10を求めず、日頃は8で満足せよ、とのこと。
太く短くか、細く長くか。
あらかじめ分量は決まっているように思う。
分量を拡大、伸ばすには、継ぎ足すのは無理かも知れないので薄める?

昨夜、山中伸弥先生のiPS細胞の話をTV番組(NHK.23時?)で見た。
熱い俳優?織田裕二がナビゲーター的な役で出演、クリエイターもコメンテイターで出ていた。
織田裕二が熱く語り過ぎていて、「わかってんの?」とヒヤヒヤ老婆心で見ていた。
山中伸弥さんが、ニコリともしない、淡々とした無表情で語っていただけに、余計に不安になった。
番組の中でヒートアップするには、よく医学を熟知してからのほうが良い(無難)と感じた美白保濕療程

山中伸弥さんが、ずーっと考え続けていた研究内容を、ふとシャワーを浴びている時に「これだ!」と閃いたというエピソードを披露された。
シャワーが良かったわけではない。
凡人は、真似して煮詰まったらシャワー!!
と、飛びつくかも?
水温は何度、水流の強さ、水質、シャワーヘッドのメーカーも参考にしたりして。
と、これは全く面白くもなんともないダサダサの趣味悪ジョークであるが。

何かの拍子に溢れるということ。
自然な流れ。
逆に、煮詰まったら、最初からやり直すと良いみたいだ。
ある執刀医が、オペ途中でうまくいかなくなったら戻ってやり直すとうまくいく、と言っていたが、執刀医本人以外、患者さんには全くわからない。
(テレビドラマなんかでは、モニター越しに大勢のスタッフが凝視している中で手術が行われているのを見たことがあるので、スタッフにはある程度わかることもあるかも知れないと想像する)
が、結果良ければ全てよし。

熟考すれば、何らかの結果は出るということ。
良い答えか良くない答えかは、後になってわかる。その時はわからないと思う。
歴史を見てもそう。
後付けの意義。意味夾胸檢查
リアルタイムで出した答えと、時代が移った後からの答えは違う。
そういうものだ。
けれど、いずれにしても時は流れる。 
自分が生きている間しか時の声や風には触れられないけれど、自分が知らない未知の世界を残すのもオツかも。

わたしが実践していること

昨夜から読み始めた、お取り寄せ著書。
導入部は、一気に読んだが(プレゼン序章部分)、肝心のノウハウ部分に進むと、読むスピードが鈍化している。  
いつもわたしは、こうだ。
悪い癖去眼袋

絵に描いた餅の話は大好きな癖に、具体的にどうやって絵を描くか、という件(くだり)になると、途端に情熱が薄れる。
実はその中身が一番、大事なのに。
過程を疎かにして、結果ばかりを追い求めているということか。
だが、著者が勧める人生時間の楽しみ方は、今、わたしが実践していることと同じ。
入口ややり方は違っても、出口からは同じ道。
なので、真ん中の過程にあまり興味を示さない。

目的だけでなく、目的に辿り着くまでの経過を含めて楽しもう、堪能しよう、という著者の言葉。
目的に向かう家を出た時から、その前の、家で準備をしている時から、もう楽しみは始まっている热玛吉
決めた目的のことだけなら、一瞬で終わってしまう。
これは、わたしの今の現状、心情にぴったりマッチする。

実はわたしは目的は何かを薄々悟っている。
それも幼少時から。
なので、あくせくムキになって頑張っている人が目の前しか見えていないのもわかる。
人生の目的を成し遂げることなどないと感じている。
次の目的が続いて待っている。
次から次へと活気があってイイね、なのだろうけれど。
鼓舞しようと自分に鞭打っているようにしか見えない。
それはそれで結構なことだが。

山には頂上があり、登りきってはいけない。
わかっているが、(人は)登る。
が、降りる自分、降りることに労力をかけなければならないことを実感する厳しい現実に直面することになる。
それが嫌なら、登らないで、ずっと歩いていれば良い。
山も谷もなく、ひたすら歩く。
が、メリハリのある自分の一生を自分でデザインするには、自分と向かい合わなければならない。
自分は何を求めているのかを明確にし、それを実現するために大まかにプランを作る。
大きなプランの実践の延長に今日がある包包面

今日の続きが明日なら、とても幸せだ。
明日、また明日のことを決めたらよい。

著者の人と、ある意味、共通する心境である。
が、そんな心境はある日突然、神様からのプレゼントで天から舞い降りてくるわけではない。
自分でやらないと。自主性のもとに。
神様は後ろからそっと背中を押してくれるだけだ。

と、コーヒーブレイクは終了。
肝心の著書の中味、続きを読まなければ。
休み休み読もう。
のんびりしていたら、ちびっ子たちを預かる時間が迫ってきた。
今日は親なし(両親共に出張)、お泊まり保育(4人も)。
また、ママママ〜と、わんわん泣かれるのかと思うと、顔を見る前からすっかり疲れている。

所にもなると重みがあ

やはり、インテリは違うなあ、と。
わたしはヒステリックに感情に任せて叫ぶだけだが、五木寛之さんぐらいの大御所にもなると重みがある。
そもそも断捨離は禅の教えを用いているらしいが、仏教ではまた違う見方もある。
自分にとって良いとこ取りをしよう。

精神面を説くならわからないでもないが、、、なぜなら、こころの内面は人それぞれだから、どの教えを取り入れて肉付けしても構わない東京樓價
が、行動に移す場合は、ああしろ、こうしろ、とパターン化されたものを指図されるのは、わたしはかなり鬱陶しさを感じる。
どこからどう手をつけて良いのかわからない、だとか、具体なやり方が全くわからない、だとか、方向性や道筋を決めた上でのノウハウならまだしも、
道も決めていないのに、あるいは、違う道を選んでいるのに、こうしろ、ああしろ、は暑苦しい。


戦前生まれのおばあさんが、ゴミを溜め込むのは賛成しない。
誰がどう見てもゴミとしか思えないようなモノを捨てないで取っておくのはどうかと。
が、今は環境汚染の観点からペットボトルなどを使い捨てせずに、マイボトルやマイ箸を持ち歩き、エコ志向も広まっている。
ペットボトルや缶は分別ゴミ箱へ英國租屋
できる限り使い捨てではなく、繰り返し使い、捨てないための工夫が課題とされている。
企業も環境を考慮した上での材料に切り替える努力をしている。

と、話の流れが何やら変わってきている。
いつものことだが。

モノに詰まった思い出、モノから溢れ出る豊かな感情、モノという物理的な目の前に実在する実感で、無意識に眠っていた思いが掘り起こされる。
嫌な思い出に触れたくない場合は、捨てるとよい。
二度と見たくない、触れたくない。
次第に嫌な感情は薄まり忘却に向かうことだろう。
だが、モノが実在しようが、しなかろうが、消えない思いはある。
「モノ」で一括りには語れない場地 佈置

のはなんだか肩身が狭

今日は、移動時間が長いから、買ったばかりのタブレット用充電器を携帯している。
エッセイブログを3つ読んだところ。
電車内の皆様は、マスクマンが多いので、我が身を振り返り、ちょっと気まずい。
家を出る時にマスクを忘れないように、とアタマをかすめていたのに、しっかり忘れている。
念じ方が足りなかったようだCT scan
マスクを携帯していて、マスクをする、しない、の選択肢があればいいが、マスクをしてない、できないのはなんだか肩身が狭い。

隣に座った母子は、母がヘビーに話しかけている。
あの年齢では話しても、一方通行だと思うが、ベビーは自分は話さなくても先に耳から言葉を覚えるらしい。

ただ、延々と話しているママは、なんか独り言、つぶやきみたいで、ちょっとなあ、、、
なぜなら、ベビーに言いたいことを伝えるのではなく、自分が思ったことや感じたこと、アタマに浮かぶことをペラペラ話している。
一人なら、アブナイ人だが、たまたまベビーを連れているから、どうにか独り言の変な人オーラは、感じさせないけれど、、、
やっぱり変な人のように思えてしまう。
わたしも、あんな感じかも知れない。

そのママ、心の声をいちいち発声するものだから、ついつい、「ちゃうちゃう(大阪弁)」とツッコミを入れたくなってしまう照腦
まだ新米ママのようで、ベビーの行動に対するリアクションや、話していることが、「そうじゃないと思うけど、、、」と違和感たっぷり。

わたしも、席、真隣でスマホ入力に余念がない、可愛げのないオバさん。
孫がいるお年頃なら、ベビーをあやしたりするものなんだけど、知らん顔。
わたしは独り言タイプの人は、めんどくさいので近寄らないことにしている。
なのでベビーにも近寄らない。

いちいち、わたしのツッコミ本能が、ぴこぴこ出て出て、引っ込ませるのに疲れる。
神経に刺さるので。

お互い、大阪駅で降りて元々そうだったように、アカの他人になった。
ママは、ベビーに「(電車内)お利口だったね」と褒めていた。
ベビーを飽きさせないよう、グズらせないよう、矢継ぎ早に話していたのかも知れないママではあるが、余計な心の声が多すぎて、わたしには、たいへん煩いノイズになった。

周りの雑踏的会話など、気にならない人は全く気にならないようだ。
が、わたしは喫茶店や電車内などでの他人の会話は、200パーセント、クリアに聞こえる。
しかも、いちいち脳内反応が起きる。
なぜか高度センサーがフルモードで機能して、わたしの感性が反応しすぎて、無駄に疲れる。

わたしは全般的に鈍感なくせに、変に過敏な部分を持ち合わせている。
わたしこそが、変な人なんだろう助聽器邊隻好

ぼーっとして今日は、マスクを忘れた。
だが、わたしにとって、もっと必要なのは、アイマスクと耳栓かも知れない。

距離感となっている

今、わたしの家の中は、子育て真っ盛りの風情。
リビングには、ジャングルジム、こどもキッチン(流し付き)、立ち入り禁止用?柵、動物クッション、、、
和室には、紙で出来た大きなお家、どっさりオモチャ、絵本、ぬいぐるみ、、、
インナーテラスには、野球盤ゲーム、、、

初めて孫ができてから、もう10年になるのに、まだこんなかんじ。
下はまだ2歳。さらに次女のところに1歳。
いつになったら、大人っぽい落ち着いた暮らしが出来るのやらDermes
とは言いつつ、賑やかな家になって、楽しんでいるのだが。
これが毎日だと、髪の毛を振り乱して疲れた顔をしていそうだが、週に2回だから、楽しみを味わえる頻度、距離感となっている。
ではあるものの、親抜きで、子供だけ4人同時に食事やその他の世話をすると、優しい声も維持できなくなる。
子供だけも疲れるが、やがて親が帰ってきて夕食となると、これまた、結構大人用夕食はめんどくさい。
8人分、用意するが、自分の分は食べる気がせず、翌日に回したり、孫が食べてしまったり。
世の中の、孫の世話をしているおばあちゃん、おじいちゃん、頭が下がります。
ご苦労様ですbikini脫毛

娘婿(長女の夫)のご両親は、日頃、ひっそりシニア2人暮らしのところを、一度に6人が帰省して泊まられると、さすがに疲労困憊のようす。
お互いに疲れるため、一泊だけ、ということにしているようだ。
その前後に、娘一家は旅館に宿泊して旅気分を満喫。
お互いの精神衛生上、良い。

と、皆さまには他人の家庭など、どうでもよいとは思うものの、わたしのおしゃべりは続く。


ある人気ブログ。ブロガーさんは団塊世代シニア。
夫婦円満の極意を紹介されている。
生まれも育ちも違う二人が夫婦になったのだから、意見や感覚の相違はある。
お互いにそれを踏まえて理解して接し合おうとのこと。
シニアになってから卒婚を言い渡された妻や夫もいて、家庭内別居を余儀なくされているとか。
昔は夫の言うままに、白でも黒と言わされた妻。
「はい」を強制された。
今もそんな国がある。
21世紀の時代に、なんと恐ろしいことか。

しかし、今も自分の考えに同調させたがる男性は確実に存在する。
同じような女性もいる?(あまり知らないが)
わたしの知っている男性のほぼほぼ100%は、自分の意見を押し通そうとする。
たまたまなのか?
それとも、わたしがなんでもハイハイと頷くタイプだったからなのか?
従わせやすい減雙下巴